旧EF58からの改装機(1~31号機) その3 |
この旧車体からの改装機は、改装された時期により大窓、小窓など様々な形態の物がありました。改装は製造番号順に行われたのではないので、大窓小窓が各番号にバラバラに散っています。
※印…主な特徴です。画像をクリックすると大きなものが表示されます。
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EF58 21〔竜華〕 旧車体振替先:EF13 3 |
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記念すべきEF58落成第1号機です。kk0630さんが古い写真を整理していて見つけたもので、友人から譲り受けたものだそうです。これでついにEF58全機の写真が揃いました。(;_;)
同機は改装機の第6グループで、昭和28年に新製車の第4次形の小窓機に準じたスタイルで登場しています。本機は同じく竜華の28号機と共に、1978年3月にEF58最初の廃車機となりました。本機の屋根上の抵抗器室カバーは1エンド側が2エンド側と同じ小さな物になっていますが、おそらく川崎製造の車体の特徴です。
「21号機は竜華に移ってからはあまり働かずに廃車になったようですね。台枠亀裂のため廃車になり、代機として広島区から40号機が竜華に入区したようです。」(kk0630さん)
※可動雪かき器取付座なし 原形小窓 抵抗器室カバー変形
写真所蔵:kk0630さん 竜華機関区 撮影年月日不明 |
製造年月日:S21.10.30
製造:川崎車輌・川崎重工
改装年月日:S30.8.4
改装:川崎車輌・川崎重工
廃車:S53.3.17〔竜華〕 |
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「21号機はみなさんこのカットが多いようです。竜華に来てまもなく休車になり、長いことラウンドハウスに留置されていました。ちなみに現役時代の写真は見たことありません。」(ohnoさん)
タイヤの踏面が錆び付いているのがうら寂しいですね。
撮影:ohnoさん 竜華機関区 1977.12.25 |
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こちらはHAWK2さん撮影の生きた21号機の貴重なショットです。EF52撮影中にたまたま入線して来たところだそうですが、パンタを上げ貨物列車の先頭に立つ姿は確かに生きてます。
撮影:HAWK2さん 竜華 1976 |
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阪和線 鳳駅を通過する貨物列車。こちらも貴重な生きた21号機の姿です。撮影日が1975年2月2日となっていますが、履歴では本機の広島から竜華への転属は同年4月11日となっています。転属前に貸出でもされていたんでしょうかね?
撮影:前田明仁さん 鳳 1975.2.2 |
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12系を牽き東海道本線117.1㎞付近を元気に下る広島区時代の貴重な姿です。こちらは2エンド側。半逆光で川崎製の丸いオデコの具合が良く分かります。本機は竜華転属後の1976年7月3日に
二休車になっています。
撮影:117KMさん 6347レ 函南―三島 1974 |
EF58 22〔竜華〕 旧車体振替先:EF13 29 |
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6348レさん撮影の大窓22号機牽引の阪和線貨物列車。2軸にコキ、マニと実にバラエティに富んだ編成です。改装機は改装された時期によって、大窓、小窓など色々な形態が存在しました。(私は大窓見たこと無いんですが…)(^^;)同機は改装機の第5グループで、新製車の第4次形に準じたスタイルで登場しています。側面手すりは当然短縮タイプです。機関士側ワイパーのみWP35に交換されています。
※可動雪かき器取付座なし 大窓
撮影:6348レさん 上り貨物 紀伊―山中渓 1977.8.23 |
製造年月日:S21.11.30
製造:川崎車輌・川崎重工
改装年月日:S29.11.29
改装:日立製作所
廃車:S54.9.20〔竜華〕 |
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前燈がRSB2灯化された後の姿でこちらは2エンド側です。RSB改造は昭和52年(1977年)です。
「もうちょっと待てば、パンタがあがったのに・・・・・」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん 新宮 1979.2.22 |
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熊野灘を眺めてのんびりと旧客を牽く22号機。
「海なんか入れなければ、きちっと撮れたのに・・・・・」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん 三輪崎 1979.2.22 |
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12系11連の先頭に立ち東海道を下る広島区時代の姿でワイパーは左右ともKW3Dです。こちらは2エンド側ですが、上のohnoさん撮影の同じ2エンド側の写真では設置されている前面手すりと前面踏板がありません。「EF58ものがたり」によると前面手すりと踏板の設置は昭和36年(1961年)から昭和44年(1969年)まで行われたとありますが、1974年頃の撮影だとするとそれ以降に設置された事になります。ちなみに本機の広島から竜華への転属は1975年3月です。
撮影:117KMさん 6347レ 函南―三島 1974年頃 |
EF58 23〔広島〕 旧車体振替先:EF13 2 |
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最後尾に20系の電源車、カニ22を改造したカニ25を連結した24系25形の「彗星2号」の回送。
23号機は更新改造、側面昇降段の欠き取りはされていますが前面窓下の手すりと前面ステップが未取付です。ワイパーは左右ともWP50です。同機は改装機の第6グループで、新製車の第5次形に準じたスタイルで登場しています。また、本機の屋根上の抵抗器室カバーは1エンド側が2エンド側と同じ小さな物になっていますが、おそらく川崎製造の車体の特徴です。
※可動雪かき器取付座なし 改装時小窓 抵抗器室カバー変形 更新改造 前面窓下手すり、前面ステップ未取付
撮影:EF5853さん 回3006レ 山崎―高槻 1979.3.26 |
製造年月日:S22.2.28
製造:川崎車輌・川崎重工
改装年月日:S30.7.29
改装:川崎車輌・川崎重工
廃車:S55.3.3〔広島〕 |
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12系12連?の先頭に立つ23号機。10両以上の編成も今でこそ長大に見えますが、この当時の国鉄では定期列車はもとより、団臨でも10両以上が当たり前でした。
「めったにあがってこない広島のカマは人気がありましたね。それも朝早い9101や夕方の6348に入ることが多く、撮影しにくくロクな写真がありません。8111や8114に入ってほしかったですね。」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん 6347レ 新子安 1977.3.9 |
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「オールパレット荷物列車を牽引して大阪駅に進入」(EF5829さん)
撮影:EF5829さん 荷1032レ 大阪 1978.4.2 |
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上りブルトレ牽引に備えて下関構内で待機する23号機。
撮影:EF5831さん 下関 1978.1.2 |
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短命に終わった寝台特急「安芸」を牽き富海駅を通過する。50.3(1975年3月)改正で新大阪~下関間の寝台特急として誕生した「安芸」ですが、53.10改正で廃止になっています。登場当時は20系でしたが、この写真の24系25形化されたのが1977年9月でわずか11ヶ月間の姿でした。
撮影:青列車さん 1001レ「安芸」 富海 1978.5.28 |
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ピカピカの24系25形の先頭に立つ同機も全検間もないのか負けずにピカピカです。更新改造機と新系列ブルトレの25形の組み合わせは、今見るとなかなか似合っていると思います。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん 34レ「あかつき3号・明星4号」 住吉―摂津本山 1976.5.5 |
EF58 24〔竜華〕 旧車体振替先:EF13 18 |
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同じく6348レさん撮影の24号機。同機は改装機の第7グループで、第6グループと同じく新製車の第5次形に準じたスタイルですが誘導踏み段、誘導握り棒を装備して登場しています。また、屋根上の抵抗器室カバーは1エンド側が2エンド側と同じ小さな物になっていますが、おそらく川崎製造の車体の特徴です。前灯のシールドビーム改造は竜華の58から本格的に始まりました。同機はパンタグラフもPS15化され、ワイパーは左右ともWP35に交換されています。また、側面の昇降手すりは短い物です。
※可動雪かき器取付座なし 原形小窓 抵抗器室カバー変形 RSB2灯 一体形先輪覆い
撮影:6348レさん 山中渓 1977.8.23 |
製造年月日:S22.5.11
製造:川崎車輌・川崎重工
改装年月日:S31.8.20
改装:川崎車輌・川崎重工
廃車:S56.6.1〔竜華〕 |
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「待避中に撮ったもの。右の窓はHゴム?用の形で左は原型小窓。窓下のラインがずれており、段違い窓と言われておりました。わかりますかしら?」(EF5853さん)
これは変わってますねぇ…。知りませんでした。他にもあるんでしょうかね?
撮影:EF5853さん 121レ 駅名不明(ダイヤ見ればわかりますが・・) 1980.3.3 |
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こちらは前灯も原形の浜松区時代の24号機です。
撮影:Mr.スリムさん(Mr.スリムの道楽部屋) 浜名湖橋梁を渡る下り「高千穂・桜島」 1974年頃 |
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同じく浜松区時代です。本機は製造も改装も川崎ですが、日立製の新製機と同じ一体形の先輪覆いが確認できます。旧EF58では日立以外にも川崎と三菱の一部に採用されていた物が残った為です。
撮影:Mr.スリムさん(Mr.スリムの道楽部屋) 浜松機関区 1974年頃 |
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6348レさん撮影の同機の1エンド側。左右の前面窓の差異が良く分かります。
撮影:6348レさん 山中渓 1977.8.23 |
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「休車中のEF5824。状態がとても悪く・・・(涙)」(もーたーまん@鈴木さん)
撮影:もーたーまん@鈴木さん 湊町 1981.3.26 |
EF58 25〔浜松〕 旧車体振替先:EF13 20 |
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荷物列車を牽き朝の東海道を上る25号機。同機は28号機と共に改装機の第2グループで、新製車の第3次形に準じたスタイルで大窓で改装されています。屋根上の抵抗器室カバーは1エンド側が2エンド側と同じ小さな物になっていますが、おそらく川崎製造の車体の特徴です。側面昇降手すりは長いものです。前面窓のHゴム化と機関士側ワイパーのWP50化、助士側WP35化されており、そのため水切り位置が上昇しています。なお、同機の連結器解放テコは旧EF58の幅広のものがそのまま使われています。
※可動雪かき器取付座なし 改装時大窓 抵抗器室カバー変形 連結器解放テコ幅広 一体形先輪覆い
荷34レ 大井町―大森 1979.5.4 |
製造年月日:S23.5.31
製造:川崎車輌・川崎重工
改装年月日:S28.9.1
改装:川崎車輌・川崎重工
廃車:S55.10.29〔浜松〕 |
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原形大窓姿も美しい25号機。
「検査出場まもないピカピカの25号機でした。」(Mr.スリムさん)
撮影:Mr.スリムさん(Mr.スリムの道楽部屋) 浜松機関区 1974年頃 |
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「これも九州のSL撮影に行くときに米原にて撮影。SL撮影時だと日付までわかるのですが・・・」(Mr.スリムさん)
この写真について草津に住む関西人さんから以下のご指摘を受けました。
「撮影場所は米原駅ではなく京都駅6番ホームだと思います。右側に写っている荷車をよく見ると京都駅と記されている様ですので。それに、左側に新快速色の153系が写っていますが、当時米原に行く運用はなかったので……。」
撮影:Mr.スリムさん(Mr.スリムの道楽部屋) 京都駅 1974.3.23 |
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こちらは「75茶屋」の山口さん撮影の、「桜島・高千穂」を牽く大窓25号機の勇姿です。この写真は同氏のHPで公開中の物を新たにお送り頂きました。一番上の私が撮ったものと比べると差異が良く分かります。
撮影:山口正洋さん (75茶屋) 上り急行「桜島・高千穂」 草薙―清水 1972頃 |
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「浜松区のEF58は見る機会が1番多かったのですが、地味な?荷物列車の運用がほとんどで目立たなかったですね。唯一の華やかな運用は紀伊・いなばの牽引でしたが、朝早くてほとんど撮影したことがありません。
配置されていた機関車はトップナンバーを含め若番も多かったのですが、出会える確立が低く、また原形窓の機関車も少なかったため、宮原区の機関車に比べ魅力に欠けていました。」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん 荷31レ 鶴見―新子安 1980.4.27 |
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京都駅に停車中の25号機。幅広の連結器解放テコの為、前端バリ付近の印象が通常の機体と異なります。川崎で改装された同機のおでこ付近のカーブは日立製などに比べRが緩く見えます。川崎製はEF15などもそうですが車体が全体に丸っこい印象を受けます。
また、本機は製造も改装も川崎ですが、24号機などと同様、日立製の一部の新製機と同じ一体形先輪覆いとなっています。これは旧車体の物がそのまま引き継がれた為です。
撮影:山口裕志さん 荷2031レ 京都 1979.8.6 |
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14系座席車12連の臨時「金星」を牽く。
「この14系客車の最後尾には、ちゃんと『金星』のバックサインが入ってました。定期列車の『金星』は583系電車なので、14系客車には『金星』のバックサインが用意されていないと思っていましたが、ちゃんとありました。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
14系座席車の初期車のバックサインは瀬戸・出雲・しおじ・あかつき・彗星・日本海・雷鳥・はくつる・はつかり・ゆうづる・つばさ・金星の12コマがあったみたいです。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん 9032レ「金星51号」 住吉―摂津本山 1976.5.5 |
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下り荷物列車を牽き現在のさくら夙川駅付近を行くシーン。こちらは2エンド側です。正面勝ちの撮影なので、幅広の連結器解放テコが良くわかります。
「中学生になって親に安価なカメラを買ってもらい、こづかいを貯めてフィルムが買えた時に徒歩圏内の夙川の土手にきて撮影しました。大窓車がいた頃に1~2年間に合わなかった世代で、小生が撮影したEF58の最若番機です。」(タキ10450さん)
撮影:タキ10450さん(『タキ10450』の国鉄時代の記録) 9808レ「ちくま52号」 西宮―芦屋 1979.10.13 |
EF58 26〔浜松〕 旧車体振替先:EF13 26 |
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本機は改装機の第8グループで、新製車の第5次形の後期に準じたスタイルで登場しています。前面窓は小窓、前灯のケースは大型となっています。なお、上の25号機同様、連結器解放テコは旧EF58の幅広のものがそのまま使われています。前面窓は履歴からおそらく1976年12月の大宮工での要検時にHゴム支持に改造されています。こちらは2エンド側。
※可動式雪かき器取付座なし 改装時小窓 連結器解放テコ幅広
撮影:6348レさん 早川 1976? |
製造年月日:S23.7.30
製造:川崎車輌・川崎重工
改装年月日:S31.8.14
改装:日立製作所
廃車:S55.5.9〔浜松〕 |
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こちらはMr.スリムさん撮影の昭和50年3月改正で廃止された「桜島・高千穂」を牽く姿でこちらも2エンド側です。
「ここは国道一号線が線路をまたぐ所で、橋の上から後ろを通る車を気にしながら200ミリの望遠で撮影していました。このポイントは何回も通いましたが、浜松駅の高架でなくなってしまいました。」(Mr.スリムさん)
撮影:Mr.スリムさん(Mr.スリムの道楽部屋) 浜松-高塚 1974年頃 |
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同じくMr.スリムさん撮影の26号機。こちらも2エンド側です。
「ホームに進入する下り荷物列車です。当時のEF58は「高千穂・桜島」以外には上下数本の荷物列車や、臨時列車に使われていたと思いますが、荷物列車にはEF61がくることもあり、浜松で見慣れたEF58よりEF61のほうが楽しみだった記憶があります。」(Mr.スリムさん)
撮影:Mr.スリムさん(Mr.スリムの道楽部屋) 浜松駅 1974年頃 |
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セノハチのトンネルを飛び出す26号機でこちらは1エンド側。前面窓がHゴム支持に改造されています。幅広の解放テコが独特の表情です。
撮影:ohnoさん 瀬野―八本松 1977.12.27 |
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原形小窓時代の26号機と「あかつき」牽引の29号機との並び。うーん、ゴハチ全盛期ですねぇ…。撮影年月日は「あかつき」のヘッドマークから昭和50年3月以前と思われます。
撮影:kitazawaさん 大阪 1975年頃? |
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京都駅での機回し中?の26号機。左奥にいるゴハチは99号機。老いたりとは言えまだまだゴハチが東海道の主だった頃の光景ですね。ワイパーは機関士側がWP50で助士側がWP35です。
撮影:山口裕志さん 京都 1979.8.6 |
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荷物列車を牽き富士駅に進入する26号機でこちらは2エンド側です。前面窓はまだ原形小窓です。同機がHゴム化されたのはこの半年後の1976年12月のこと。
撮影:しずはたさん 富士 1975.6 |
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荷レを牽き品鶴線を品川目指す姿でこちらは1エンド側です。望遠で正面勝ちに見ると幅広の連結器解放テコが際立ちます。機関士側WP50と助士側WP35のワイパーのサイズの違いも良く分かります。
撮影:BINさん 荷38レ 鶴見―品川 1977.8.3 |
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SGのスチームを漂わせながら沼津駅で小休止中。こちらは2エンド側です。上の写真ではWP35だった助士側ワイパーもWP50化されています。
撮影:BINさん 荷33レ 沼津 1979.2.23 |
EF58 27〔浜松〕 旧車体振替先:EF13 4 |
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同機は改装機の第7グループで、第6グループと同じく新製車の第5次形に準じたスタイルで誘導踏み段、誘導握り棒を装備して登場しています。前灯ケースは大型に改造されています。
※可動式雪かき器取付座なし 改装時小窓 一体形先輪輪覆い
撮影:6348レさん 国府津 1979.5.27 |
製造年月日:S23.10.15
製造:川崎車輌・川崎重工
改装年月日:S31.1.10
改装:東京芝浦電気
廃車:S55.3.25〔浜松〕 |
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Mr.スリムさん撮影の下り荷レの先頭に立ち浜松駅に佇む原形小窓時代の姿です。同氏はSL撮影の合間に蒸気末期の一番輝いていた時代の電機の姿もたくさん記録しておられるようです。ホームの頭上にそびえるテルハ(でしたっけ?)の姿も懐かしいですね。昔は大きな駅ではどこでも見られた設備でした。
撮影:Mr.スリムさん(Mr.スリムの道楽部屋) 浜松 1974年頃 |
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私の「屋根上が分かる写真…」と言うリクエストに応えてEF5853さんが送って下さった写真の1枚。意識して撮らないと意外と屋根上が確認できる写真って少ないですね。
「屋根上の写真としてはちょっと苦しいかなー。150mm+テレプラス(x2)
です。EF65Pブルトレを撮りに行った時の写真です。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん 荷34レ 大森―大井町 1978.7.17 |
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原形小窓時代の27号機。下関構内の雰囲気が小荷物輸送全盛当時の面影を偲ばせます。
「私が撮影した最初のゴハチの写真がこれです。確か昭和50年でゴーマルサン改正の少し後に下関駅で撮影したものです。」(EF5831さん)
撮影:EF5831さん 下り荷レ 下関 1975 |
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SGの蒸気を吐きながら豊橋を通過?する27号機。助士席側ワイパーはまだKW3Dですが、機関士側のWP50同様、無塗装?もしくは銀色に塗られているのが目立ちます。
撮影:しずはたさん 豊橋 1978.2 |
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荷物列車を牽き東海道本線を快走する。助士側のワイパーのアーム部分は銀色っぽく見えます。回送でしょうかオハフ13が機関車次位に連結されており、ちょっと奇妙な編成です。
「いつもの場所で荷物列車を待ち構えていたら、住吉川のアーチの下からゴンパチの次に12系客車が見え、『臨時列車か!』と興奮しましたが、ただの回送でした。ちなみに、オハフ1310とメモを取っています。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん 荷42レ 住吉―摂津本山 1976.3.3 |
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浜松機関区で昼寝中。本機の先輪覆いも川崎製旧EF58時代の一体形となっています。また、可動式雪かき器を装備しいないの改装機は、運転席床下と前端バリの間がスカスカなのが良く分かります。
「こういう若番機をキャッチできるとうれしいものです。記録してなく、わかりませんが、後ろで洗車されているゴンパチは側面窓にHゴムが入っているので、150番台か160番台でしょうか。
」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん 浜松機関区 1976.8.1 |
EF58 28〔浜松→竜華〕 旧車体振替先:EF13 6 |
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本機は25号機と共に改装機の第2グループで、新製車の第3次形に準じたスタイルで登場しており、当初は水切りも付いていない姿でした。なお、先台車は日立独自の一体鋳鋼製となっています。この写真は昭和48年(1973年)10月の竜華に転属前の浜松時代の姿で、前灯がまだRSB2灯化される前の美しい姿です。面白いのはHM取付座の車体への取付方法で、通常は縦に2つのボルトで取付なのが、横2つとなっています。同機はその後竜華転属後、同区の21号機と共にEF58最初の廃車機となっています。
※可動式雪かき器取付座なし 大窓 一体鋳鋼製先台車 EF58最初の廃車機
撮影:Mr.スリムさん(Mr.スリムの道楽部屋) 浜松機関区 1973年頃 |
製造年月日:S23.6.11
製造:日立製作所
改装年月日:S28.8.31
改装:日立製作所
廃車:S53.3.17〔竜華〕 |
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この写真でもヘッドマーク取付座の設置方法が横になっているのが確認できます。
「多分、寝台鈍行列車「南紀」号を新宮まで牽引していた?はずです。 DF50撮影旅行時に、乗る列車の機関車をたまたま撮っていたようです。」(上野駅20番線さん)
撮影:上野駅20番線さん 天王寺 1977.3.29 |
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こちらは1エンド側ですが、HM取付座の設置方法は標準の縦になっています。どうやら横向きなのは2エンド側だけの様です。機関士側ワイパーはWP35になっています。
「『さよならEF52』 きのくに54号(9107レ)を撮影しに、阪和線の浅香駅でスタンバイしていた時に、単機回送で走って来ました。(この数分後に、EF527が走って来ました。)逆光ですが、なかなかよく写っており、お気に入りの写真の1枚です。写真右に写っている商店やアパートが、昭和の時代を感じます。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん 下り単機 浅香 1975.8.24 |
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臨時の「きのくに」を牽き山中渓駅を通過するシーンでこちらは2エンド側です。SGのホースを繋いだままにしているのが珍しいですね。
「この時和歌山側のライトは未改造ですが、天王寺側はすでにシールドビーム2灯化されていました。」(117KMさん)
ちなみに本機のシールドビーム改造は「EF58ものがたり」によると1エンド側が1976年2月で2エンド側が同年12月となっています。なのでこの間の撮影になりますね。
撮影:117KMさん 上り臨時「きのくに」 山中渓 1976 |
EF58 29〔下関(転)〕 旧車体振替先:EF13 10 |
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大窓、つらら切り、一体鋳綱製先台車という実に個性溢れるスタイルの29号機。同機は唯一の改装第3グループで、新製車の第3次形と第4次形の間に登場しており、両者の中間的な形態で登場しています。具体的には側面の昇降手すりの短縮が行われたものの、前面の水切りは未取付でした。東京機関区配置時に上越線での運用に備えてつらら切りが取り付けられました。また、その場合通常はつらら切りのみで汽笛カバーは付けられませんが、同機には同区の検修陣によって試験的に取り付けられた事があるようです。
※可動雪かき器取付座なし 大窓 つらら切り 一体鋳綱製先台車
撮影:6348レさん 6348レ 早川 1978? |
製造年月日:S23.7.23
製造:日立製作所
改装年月日:S29.1.19
改装:日立製作所
廃車:S54.11.9〔下関(転)〕 |
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こちらはEF5853さん撮影の29号機。
「下関のEF58最後の(国鉄末期に復活しましたが)東京駅出発。29と30はよく来ていたのですが、来るのは夜(夕方遅く)、帰るのは朝早く、でずっと撮れませんでした。結局これが最初で最後の29でした。出迎えたのは、私と伊藤○巳、雀宮の赤○(?)氏、新○正氏(31の時?)のほんとに3・4人でした・・。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん 8111レ 東京 1979.6.20 |
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むき出しの先輪が印象的なカット。やはり、大窓機は美しいです。
撮影:kk0630さん 朝霧 1978? |
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「あかつき」のヘッドマークもよく似合う29号機。青いゴハチにはこの「あかつき」や「日本海」、「彗星」など青いヘッドマークはよく似合いますね。
撮影:Mr.スリムさん(Mr.スリムの道楽部屋) 上り「あかつき」 大阪 1974.8.25 |
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同じく「あかつき」を牽引し朝の岡山に到着した29号機。特急牽引機としての誇りに満ちた姿ですね。
撮影:Morishigeさん 岡山 1974年頃 |
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14系「彗星」の先頭に立ち大阪に到着。 クラシカルな雰囲気の大窓ゴハチには20系の方が似合ってるでしょうか。
撮影:Morishigeさん 大阪 1973.8頃 |
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早朝の下関に到着した29号機牽引の「あかつき」。
撮影:Morishigeさん 下関 1974.8.17 |
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「定期運用を持たない下関のEF58でしたが、よく上京してきました。好みは29・31号機でしたが、何故かぼろぼろの色あせした30号機が多かったような気がします。広島区を含め普段見れない西の機関車に憧れを感じていました。」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん 8111レ 東神奈川 1977.3.22 |
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広島区貸し出し時の姿。随分と汚れていますが現役時代、ロングラン運用が多かったゴハチは米原区以外こんな姿も多かった様に思います。
撮影:jm1xsjさん 大船 1973年頃 |
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大窓につらら切り、先輪剥き出しの鋳鋼製先台車の29号機独特のプロフィール。
撮影:jm1xsjさん 大船 1973年頃 |
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「あかつき」のヘッドマークも誇らしげに14系客車の先頭に立つ29号機。この頃がEF58最後の黄金期と言えるでしょう。(私も見てみたかった~。
)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん 24レ「あかつき5号」 住吉―摂津本山 1974.7.21 |
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「あかつき」マークが良く似合います。サイドからのアングルで同機の特徴の一体鋳鋼製先台車がはっきり分かります。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん 36レ「あかつき6号」 摂津本山―芦屋 1975.2.11 |
EF58 30〔下関(転)〕 旧車体振替先:EF13 7 |
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朝日を浴びて14系座12連を牽く。同機は改装機の第8グループで、新製車の第5次型の後期に準じたスタイルで登場しています。また、29号機や5号機などと同じ一体鋳綱製の先台車をはいていました。ワイパーは機関士側WP50、助士側WP35に換装されています。この頃はまだ、ゴハチには余り意識無かったです。私の撮った唯一の下関のゴハチ…。(;_;)
大井町―大森 1979.5.4 |
製造年月日:S23.10.21
製造:日立製作所
改装年月日:S31.2.22
改装:日立製作所
廃車:S54.11.9〔下関(転)〕 |
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「初めて撮った[関]の58です。(しかも知らないで)連結してから片パンを下げて何やらやってまして、再び上げた瞬間を撮ったものです。」(EF5853さん)
※可動式雪かき器取付座なし 原形小窓 一体鋳綱製先台車
撮影:EF5853さん 8111レ 東京 1979.2.11 |
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こちらはMarchin kunさんのお父君が撮影された茶色時代の30号機です。後補機のD52を従えて瀬野八を行く姿が渋いです。ちなみに「オレが一番好きだったELはEF58とEH10だった」そうです。
写真所蔵:Marchin kunさん 瀬野―八本松 1963.12.18 |
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鋳鋼製先台車の為、先台車の端バリが未設置です。前から見ると先輪が剥き出しです。
「臨時列車の下り但馬53号を狙って待ち構えていたところ、突然この上り回送が来ました。 」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん 回8208レ 住吉―摂津本山 1975.8.9 |
EF58 31〔下関(転)〕 旧車体振替先:EF13 28 |
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こちらも6348レさん撮影の原形大窓機として絶大な人気を誇った31号機。同機は16号機と共に改装機の第4グループで、新製車の第4次形に準じたスタイルですが、水切りは準備工事で登場しています。16号機と同じく試験塗色機ですが塗り分けは車体が青3号で車体裾が黄かん色というものでした。(試験塗装について)ワイパーが機関士側のみWP50になっており、正面から見るとちょっとアンバランスです。
※可動式雪かき器取付座なし 大窓 元試験塗装機
撮影:6348レさん 8111レ 早川 1979.5.15 |
製造年月日:S23.5.27
製造:東芝車輌
改装年月日:S29.1.9
改装:東京芝浦電気
廃車:S54.10.6〔下関(転)〕 |
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「この日、吾妻線に座敷が走った為、東京駅で出迎えたのは5人程度だったと思います。「31はもうボロボロだからもう来ない」なんて言われていました。」(EF5853さん)
上の6348レさんと同じ列車ですね。
撮影:EF5853さん 8111レ 東京 1979.5.15 |
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このアングルは今は撮れない保土ヶ谷駅ホームからのもので、EF5853さんお気に入りのものだそうです。格好いいですね。
撮影:EF5853さん 保土ヶ谷 1979.5.17 |
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こちらはohnoさん撮影の10系寝台を連ねた団臨の先頭に立つ31号機。出来ることならばこの時代に行きたいものです。
撮影:ohnoさん 8111レ 保土ヶ谷―戸塚 1977.2.13 |
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パンタを上げて待機する改装機ラストナンバーの31号機。雪かき器取付台座を持たない先輪剥き出しの姿こそ、ある意味流線形ゴハチのオリジナル姿とも言えます。
撮影:中川さん 沼津機関区 撮影年月日不明 |
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上り「彗星」を牽き元町駅に滑り込む。ブルーの車体に「彗星」のヘッドマークがよく似合います。
撮影:流線形さん 上り「彗星」 元町 1975.2.10 |