ドッジラインによる製造中断が解かれて昭和26年4月〜6月に登場したグループ。このグループから主電動機のMT42化と共に外観上の大きな仕様変更が行われました。具体的には以下の通りです。 車体断面形状が変更され、車体高さが3530mmに 側面機器室窓の増設(7枚) 前面窓上につらら切り取り付け 屋根上にモニタールーフ取り付け パンタグラフのPS14への変更 正面扉窓の固定化、正面通風口の取り付け(9号機は後に撤去) 屋根上の雨樋取り付け(除く9〜11号機) しかし、まだまだ1次形の影を大きく残しており、車体正面の昇降段は三菱製の35・36号機はその後の標準の5段タイプですが、その他は1次形と同じ4段、砂箱の数は全機1次形同様に動軸1個に対して一つ、屋根上の主抵抗器室のカバーも両エンド側とも同じ大きさ、機関助士側の側窓は1次形と同じく1枚タイプです。デッキ形状も1次形の各メーカータイプとなっており、まだまだ統一された仕様にはなっていません。落成時は全機プレート式先輪、引っ掛け式標識燈でした。標識灯は昭和31年〜42年に掛けて11号機を除き全機埋込式へ改造されています。 この中でも、日立製の9〜11号機は1次形と2次形の中間的な形態で、よく見ると第3・第5側窓の位置が1次形と同じになっており、おそらく側窓5枚の1次形後期の鋼体(車体断面が低くエアフィルタが小さいタイプ)に窓を後から足して製造されたと思われます。車体断面形状も1次形の低いものと同じ車体高さ3460mmのようです。(正面から見ると平べったくなってます。)さらに正面扉は1次形と同じく補強帯があるタイプです。1次形で欠番となっているナンバーやこれらの点からこの3両は、おそらくドッジラインによる製造中断前にメーカーで見込み生産されていた仕掛け品だったと想像されます。 その落成時の形態は前面通風口は1エンド機関士側7段、助士側8段、2エンド機関士側7段で、運転席側窓の雨樋も1次形同様窓下まで達していないタイプだったと思われます。通風口は福米EF16にも1エンド機関士側7段、2エンド機関士側7段、助士側8段のタイプがありましたが、9〜11号機とはエンドと通風口の関係が反対になっています。モニタールーフ小窓も標準の5枚ではなく6枚です。なお、これら3両には屋根上の雨樋が付いていませんが、同じく落成当時に雨樋が未取付だった1次形はその後の装備改造で取り付けが行われており、最終的にEF15(EF16)内での雨樋未取付機はこの3両だけと思われます。 三菱製の34〜36は戦後の財閥解体で登場した中日本重工の製造銘板を持つことで有名でした。通風口も前面左右の標準的な位置に設けられましたが、3段のガラリ形で後の標準的な6段ヒダの物とは形態が異なっています。側面は機関助士側の側窓が1次形と同タイプとなっている他は既に標準タイプとなっており、正面扉の形状などから新設計の車体となっているようです。側面の可動式窓(第1・第2・第6・第7機械室窓)が窓枠の目立たない後の標準形と同タイプとなっていますが、同じ三菱製の3次形では再び窓枠の目立つタイプになっています。また、本ロットのみ第3動軸の砂箱のみサイズの小さい物になっています。(川崎製とも異なるタイプ) 川崎製の40〜42も前面左右の標準的な位置にガラリ形通風口が設けられましたが、三菱製とは異なり4段となっています。正面ナンバープレートの取付位置も上寄りです。砂箱は川崎独自の小さいタイプです。この3両は埋め込み式に改造された標識燈の位置が標準よりも上寄りに取り付けられているのも特徴です。(42号機が特に顕著) 前燈の取付台座は9,34,40,41,42号機が2枚板の飛び出したタイプ、10,11,35号機がLP42用、36号機のみステー式となっています。 ※印…主な特徴です。画像をクリックすると大きなものが表示されます。
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