EF58&EF15の掲示板 過去ログ(2005年10月)

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青大将
投稿日 10月31日(月)21時06分 投稿者 宇都宮運転所
>EF5841さま
早速のご回答、ありがとうございます。
やはり、もし89が青大将塗装になるのであれば、庇は取り外すべきでしょうね。
元来、コテコテの寒冷地仕様(EG・庇・スノープロゥ・汽笛カバー・原形フィルター等)の保存機がないことに一抹の
寂しさを感じておりました。一生を高二で過ごした120・121、もしくは175号機のいずれかが横川で保存され、172は
大宮工場か隣接される博物館に保管されていればと改めて思います。

EF64-1000との重連
投稿日 10月31日(月)16時07分 投稿者 タイムマシーン
初めまして。
EF16に関する情報を検索しておりまして、
当該ホームページにたどり着きました。
EF16が引退する頃まで上越線沿いに住んでいた
時期がございましたが、最近になり
その当時の鉄道に関心を持ち初めました。
質問なのですが、EF16とEF64-1000との重連の
運用はございましたでしょうか?EF15との重連は
投稿写真にて拝見させて頂き確認が出来たのですが・・・。
初心者の質問で大変恐れ入りますが、
もし御存じの方がいらっしゃいましたら
御教授頂けますと嬉しいです。
どうぞ宜しくお願い致します。
m(_ _)m

Re:素朴な疑問
投稿日 10月31日(月)10時33分 投稿者 EF5841
>原形小窓で庇付の青大将は存在したのでしょうか?

存在しません。
86、89、99,100,140 等すべて、宮原区所属です。

素朴な疑問
投稿日 10月30日(日)20時09分 投稿者 宇都宮運転所
>ロクイチさま
おっしゃる通り89も青大将でしたね。訂正してお詫びいたします。
確かに89こそ青大将塗装にして保存するのにふさわしいカマかもしれません。しかし一つ疑問が。
青大将当時の89には庇はなかったはず。そうなると当然、庇を外して原形小窓に戻し、青大将塗装のするのが現役当時
の姿に近づく方法です。それはそれでおそらく眩しいばかりの姿になるのでしょうが、宇都宮時代の89を見てきた者に
とってはどうも庇なしの89というのも寂しい物です。なんせそのおかげで廃車解体を免れたのですから、、、。
また、庇付の青大将というと、上越筋から東海道に転属した37・38や47号機のように大窓機がすぐに浮かびますが、
果たして原形小窓で庇付の青大将は存在したのでしょうか?

保存機について
投稿日 10月30日(日)00時19分 投稿者 高槻山崎間
青大将さんに云うとおり66号機に解体は残念ですね。
原型大窓で、61号機にない装備をしていたからね。
個人的には、米原機関区所属に74号機や111,112,113,118の
原型小窓で切り抜きナンバープレートでない機関車の保存
してほしかったですね・・・!
36号機も捨てがたいものがあるけど。

青大将
投稿日 10月29日(土)08時16分 投稿者 ロクイチ
>宇都宮運転所さま
>既に青大将ガマは全て解体済みゆえに、、、。
>う〜ん、やっぱり66号機はそういう意味でも保存すべきでしたよね。

大宮工場で保存されている89号機は東海道本線全線電化にあたり「つばめ」1番列車を牽引した青大将塗装機だったと思います。
青大将にされた93号機よりももっと青大将にふさわしいカマだと思います。

個人的には現車が存在しませんが、かの試験塗装(4号機仕様)を見てみたいものです。

ブルトレ塗装
投稿日 10月29日(土)04時46分 投稿者 宇都宮運転所
>747-400さま
僕もかねてからブルトレ塗装にヘッドマークを掲げ20系の先頭にたつ58の姿が一番似合っているように思っておりました。
過去にその塗装を纏った122号機を茶釜ではなくブルトレ塗装にしてみるというのはいかがでしょうか?既に青大将ガマ
は全て解体済みゆえに、、、。う〜ん、やっぱり66号機はそういう意味でも保存すべきでしたよね。

「悲運のカマ」。僕が選ぶとすれば、やはり89復活の替わりに廃車になった109号でしょうか?同じ宇都宮で廃車になった
73号機も日光線お召しの前年に廃車になっており、もしあと1年現役でいれたら、ひょっとして東京区時代のお召し予備機
という実績が評価されていたかも?また、同じお召し予備機でありながら、廃車後にあっさりと解体されてしまった60号
機もやっぱり「悲運なカマ」では?

【映画】「X電車で行こう」では
投稿日 10月25日(火)10時51分 投稿者 青列車
お邪魔しますm(_ _)m
>>ED75様
お尋ねの映画の件、タイトルだけで済んでしまいそうですが、「X電車で行こう」かと
存じます。生憎監督・配給会社などは覚えていませんが、レンタルビデオは当時出て
いました。主人公?となるのがEF5861。しかし、忘れ去られうっちゃられたのか?第
2種休車どころじゃないほどの荒れ様で、朽ち果てるに任されたように、車庫の奥で
天に召される日を待っているような状態(勿論現実にはそんな事はありませんよね。
鉄道記念物否重要文化財に選定されてもおかしくない実績を持ったこのカマ、それは
もう大切に大切に維持管理されています)。冒頭に、登場人物の私生活のシーンがあり、
安アパートでインスタントラーメンを食べる彼の脇でNゲージ?の鉄道模型が走り、
その辺に「鉄道ファン」誌が転がってる様子には思わず笑ってしまいました。
(やや?いつの間にオレの部屋の様子を?)(爆)
もっとも、この映画、「鉄」の目で観るとやや、物足りないトコ、物申したいトコはあ
ります(^^);EF5861のプロフィールを紹介するシーンで、「昭和59年のお召し
列車を牽引した…」(おいおい、昭和29年から何回お召し列車担当してると思ってる?
既に100回以上、かのC51239の実績も凌駕して、毎回記録更新中だぞ…)とあったのに
引っ掛かったり、何より、EF5861に上越型庇があったり(パックじゃねえぞぉ〜!)(^^);
「アキバ系」の喜ぶ「萌え」要素こそ見られませんが(多分この映画の公開当時はまだ、
「アキバ系」という言葉は無く、彼らの存在も少数派であり、「萌え」もブームになって
いなかった頃と思われます)、単純にアニメ映画としては楽しめる作品です。
ただ、万人にお奨めできるかと言われると少々微妙ですね(^^);
いあ、キャストもスタッフも腕の立つ方々で作品自体の質は高いのですが、こちら
の皆様におかれましては…
「神聖なロイヤルエンジンEF5861様をなんと心得る!冒涜するでない!」
というご意見が出ないとも限りません。
VHSビデオならレンタル版もありましたから(DVDがあるか否かは存じませんが)、興
味をお持ちの方はご鑑賞をお奨めします。

No.115の握り棒
投稿日 10月25日(火)10時39分 投稿者 747-400
宇都宮運転所さま
貴重な情報をありがとうございます。
61号機用のステンレスの握り棒が4本だけだと、非常時不便なので、115
号機も召し上げられたのでしょうね。
では60号機はそのままと推定されますが、この時東京機関区の方が、気を
きかせて115号の4本は浜松に進呈するという、粋な計らいがあったら…と
思いますが。(私は東芝 贔屓なので60号のほうが好きです。)

115号機&116号機とも、ブルトレ塗装の時が1番似合う塗装ではないか
と思っています。

大宮工場の脇においてあった、グリーンの前頭部は確かナンバーは154号
だったので、新交通博物館が開館する際には、是非ブルトレ塗装にして欲しい
と思っています。

EF58の映画
投稿日 10月25日(火)03時12分 投稿者 ED75
はじめまして、このHPを見て幼い頃に見たあるアニメ映画を思い出し書き込ませていただきました。
そのアニメ映画なんですが、EF58が出てくるんですよ。
私が小学校一年生位ですから今から15年位前でしょか?内容は現在の日本で、ある電車区の機関庫に
放置された古いEF58がありました。そのEF58にある日、怨念が宿り勝手に動き始めます。まさに
ゴースト機関車と化したのです。それを知った国鉄か?JRか?が、そのゴースト機関車化したEF58を
捕獲しようとしますが失敗します。その捕獲を失敗した現場にいたフリーのカメラマン[青年]の前
にゴースト機関車化したEF58が急停車し、彼に向かって前灯で合図をしてそのまま、また暴走し
出しました。彼は合図の謎を知る為にEF58を追いかけって行ったのです!
てな感じの内容なんですよ!
そしてそのEF58なんですが廃線と化した非電化区を夜中黙々と走るんですよ!
アニメの線画はアキラっぽい感じでものすごくリアルです。
どなたかこの映画の題名と見たことがある方返信お願いします。

ステンレス製握り棒
投稿日 10月25日(火)00時39分 投稿者 宇都宮運転所
>747−400さま
まず、僕は記憶力が悪い方で、昔から「歴史」のような記憶力が問われる教科を苦手としておりましたこと
を前置きさせていただきます。結論ですが、115号機の4本の握り棒も後に予備品として取り外され、東京
機関区に保管された旨の記事を20年以上も前に読んだ記憶があります。如何せん、情報源を思い出せず、
また真偽の程も確かではありません。確かに昭和32年3月の新製配置から115が昭和38年12月に宮原に転属
するまでの間、共に東京機関区所属でしたのでその可能性は十分にあったと思いますが?

EF58116の握り棒
投稿日 10月22日(土)19時43分 投稿者 747-400
交通博物館の116号機の写真が話題になりましたので、関連の話題を…。
さて116号機は115号機と共に私の大好きな「ブルートレイン塗装機」
でした。そして両機は日本車輌(富士電機)で国鉄向けに戦後製造した
初の電気機関車であったため、これを記念して同社はこの2両にステンレス
製の握り棒を装備して落成させたそうです。
それが東京機関区の検修陣の目にとまり、61号機用として116号機の
握り棒が召し上げられたとあります。

116号機としては大変名誉な出来事ですが、115号機のステンレスの
握り棒はそのまま使用されたのでしょうか?

両機の写真はさほど多くないですね。
両機が両方掲載されている雑誌は「鉄道ファン 189号 23ページ」
にブルトレ塗装で登場しています。
その他の115号機の写真を見ても、ステンレスかどうか不明です。

きーぼーさんのカットモデルの件ですが、弁天町の交通科学館時代の
ものではなく、「天王寺事業所阪和オフィス」に展示されたもの
(天王寺阪和オフィスがどうゆう所か不明ですが)ではないでしょうか?
前部台枠部分が無いのが気になります。

交通博物館
投稿日 10月22日(土)05時41分 投稿者 宇都宮運転所
>青列車さま
貴重な情報をありがとうございます。
'07年夏には埼玉の実家に帰る予定ですので、是非交通博物館にも行きたいと思います。
ご指摘の「屋根昇降段未改造」機は、84/85/116/117/119の5両が宇都宮にて最後を迎えて
おります(116は最終田端)。114号機を加えて110番代のこれら4両は外見的にも経歴も
似ており、特に宇都宮最終組11両に選ばれた114と116は遠くからでは見分けが難しく、
サイドの製造銘板の違い(114は汽車・東洋の丸板2枚、116は規格銘板)で見分けたもの
です。116号機を「悲運のカマ」とはなるほどと説得させられました。しかし僕的には
わずか7両しかない日本車輌・富士電機製の機関車のうち、115と116号のみがプレート
と銘板をセットで飾ることができる幻的な存在です(残りの5両はナンバーが切り文字式)。

>管理人さま
何度見ても、両毛お召しの際の61、誇らしげな表情がたまりません。
日章旗と交差するもう一つの国旗。実は今僕が住んでいる国の旗なのです。
'96年6月からこの国の住人となり、もう10年目になります。この時のお召しの
情報は事前に掴んでおり、お召し列車の運転時刻には気が気でならなかったことを
昨日のことのように覚えております。このお召し列車以降、'99年4月にはルクセン
ブルグ大公ご夫妻を招いて、さらに'01年3月にはノルウェー国王ご夫妻を招いて
お召し列車が運転されました。僕がベルギー移り住んだ当時は、ベルギー・ルク
センの両国を営業で担当しており(ベルギーブラッセルからルクセンブルグまでは約
220`、車で2時間強の距離)、またベルギーに来る前はフィンランドに住んでおり
ました。フィンランドとノルウィーはいわずと知れた北欧の隣国。どうしてこうも
人の神経を逆なでするような、それもお召し列車が走るのか?ストレスに感じたこと
もありました(苦笑)。
このように、皆様の力作を拝見できる場をご提供くださったことにとても感謝して
おります。頻繁に更新して頂かなくても異存はございません。どうぞ末永くこの場を
続けてくださることを願ってやみません。

意外と身近に
投稿日 10月21日(金)23時37分 投稿者 きーぼー
返事遅くなってすみません。ナンバーは158で交通科学博物館のレプリカだったんですね。
どうりで「全国保存鉄道2」のリストに載ってないわけです。多分奈良の実家に行く
ついでに寄ったんじゃないかと思います。覚えてないなあ。そこで改めて他のアルバムも
引っ張り出して調べ直してみました。「92年5月 交通博物館」という大型模型の部屋の
写真の植木鉢を目を凝らして見たら「天王寺事業所阪和オフィス」・・・。
1枚しか無くて今まで気付きませんでしたがどうやら交通科学博物館の間違いらしいです。
EF58のと服も同じですし。日付はこっちの方が正確そうです。
01年に行った時にはもう(とっくに?)ありませんでした。

確かに各機の紹介の所の写真を見ると更に前は先台車があったみたいですね。
交通科学博物館のカットモデルといえば、ヤマケイ「JRの本(89年)」の写真を見ると
当時は583系のカットモデルもあったようで、151系は今より窓二つ分車体が長いです。
EF58も93年のリニューアルで処分しちゃったんでしょうか。

【訂正】交博写真はEF58116でした。
投稿日 10月21日(金)03時08分 投稿者 青列車
お邪魔しますm(_ _)m
先日10月11日の発言ですが、勘違いをしておりましたのでお詫び申し上げます。
−−−−−−−−−−−−−−以下 引用−−−−−−−−−−−−−−−−−−
そういえば先日(9日)、交通博物館に赴きましたが、展示品の中にトンネルの写真
が色々掲げられていたパネルがあり、その中の1枚に、複線トンネルから出てくる
EF58、それも114号機の写真がありました。丹奈トンネルでしょうか?青塗り警戒
塗装でしたが電暖表示灯はまだついておらず、昭和50年以前に撮影されたものと思
われます。しかし、一番肝心な端梁のブレーキホースの数を数えるのを失念してい
ました(114号はP型改造されていますから、ブレーキホースは3本になっています。
もしもホースが3本あれば昭和47年以降、1本しかなければそれ以前。とすぐにわ
かったのですが…)。
−−−−−−−−−−−−−−引用 終わり−−−−−−−−−−−−−−−−−
20日別用(再就職支援会社訪問。於 神田)があり出かけた際、訪問先が交通博物館
至近の場所でしたので、立ち寄ってみました。件のパネルを再度確認しましたとこ
ろ…114号機と思っていましたがこれは116号機でした。前発言の114号機とあると
ころは116号機と読み替えていただければ幸いに存じます。
(あ、丹奈トンネルも丹那トンネルの間違いでした)
そう、折角ステンレスの握り棒をもらったのに、61号機に召し上げられてしまった
悲運(?)のカマです。
前発言の114号機とあるところは116号機と読み替えていただければ幸いに存じます。

前面端梁には、MR管引き通しの装備は見えませんので、少なくとも1972年10月よ
りは以前の写真であることは間違いないでしょう。もっとも、当初は米原と下関の
EF58が対象で、宮原や広島のカマにも対象車が出たのは少し後かも知れませんが、
微かに見えるエアフィルターがどうも東海道・山陽筋のお約束だったビニロックフ
ィルターではなく原型の様に見えました。屋根昇降用のステップの車体側面切り欠
きはありませんでしたが、広島区のカマは此処を凹ませずに生涯を終えたものが少
なくありませんので、これはなんともいえません。トンネルの闇に沈んでいる、後
ろに続く列車が何であるのか?も気にはなりますが…(^^);

EF58のカットモデル
投稿日 10月15日(土)21時29分 投稿者 C6217
私もパッと見は皆さんのおっしゃる通り、大阪は弁天町にある交通科学館にあった
物が怪しいと思ったのですが、幾度と無く通った幼き日の記憶と、手元に残る記念
写真、それからこのホームページに載っている写真では大阪にあった時には『きー
ぼー』さんの写真の様に地面に直接置かれていたのではなく、先台車部分があった
はずなのですが、それは何処に行ったのかが気になります。交通科学館(現、交通
科学博物館)には1984〜1985頃まではあった様に記憶しているのですが、
暫くご無沙汰している間に221系の頭に変わっていましたね。あと、余談ですが
交通科学館の思い出としては見るからに181系の頭の説明文が『485系』とな
っていたのが古い写真に残っています。幼心に「間違ってるやんけ」と突っ込んで
いた記憶もあります。2年程前に確認に行った所、きちんと『181(151だっ
たかな?)系』と直っていましたが、いつ直したのでしょうね。

EF58のカットモデル
投稿日 10月15日(土)11時45分 投稿者 747-400
私もこのカットモデルは以前、弁天町の「交通科学館」(現交通科学博物
館)にあった鷹取工場特製のレプリカが臭いと思います。
識別点は青列車さんの仰るとおり、テールライトとヘッドマーク掛けが
ない点、前面窓メインテンス用のステップがない点です。

私が弁天町に行ったのは、1962年と1963年ですが、その時そのカットモデル
を正面から撮影しました。

当時はブルトレ塗装にされていました。内部は機関士席に座ると、マスコン
ハンドルをガチャガチャと動かすことができました。
1958年の姫路での「国鉄電化展」(EF58ものがたり 上巻58頁 参照)
での塗装ですが、弁天町で見たブルトレ塗装が頭にあり、解説の
「ブルトレ塗色というのは時代を象徴している」という文言をそのまま
受け入れていましたが、確かに 青列車さんの仰るとおり一寸変ですね。
多分グリーンの青大将塗装だったのでしょう。今まで気が付きませんで
した。
その後このカットモデルは1964年〜65年にかけて、ブルーの一般色に
変更されたようです。
という事はこのモデルは グリーン→ブルトレ塗装→ブルー一般色と
3回変更されたことになり、現役機でも経験したことのない塗色変更機
と言えますね。

しかし交通科学館での撤去後、どこにいったのでしょう?
塗装に関しては、私

【カットモデル】交通科学博物館のEF58158では?
投稿日 10月14日(金)22時44分 投稿者 青列車
お邪魔しますm(_ _)m
>>きーぼー様
お尋ねの件のうち、最初の方の、EF58の運転台のカットモデルですが、正面窓や手す
りのないことやテールライトの形状などから推測しますにこれは以前大阪弁天町の交
通科学博物館にあった運転台のレプリカではないでしょうか?

ナンバーはEF58158となっていましたが、勿論本物ではありません。

(私が交通科学博物館を訪ねた1980年頃にもありましたが、その時点ではEF58158号
機はまだ現役でした)。

生憎参考となる交友社刊行「EF58ものがたり」は仕舞い込んでしまったので即座に検索
できないのが辛いところですが、確かこのカットモデルは1958年の山陽線姫路電化の
際、姫路駅駅頭に飾られたものだった由。ナンバーの158は1958(昭和33)年に因んだ
ものだったのでしょうか?同書に拠れば、この時この運転台はブルトレカラーに塗ら
れていたとの事ですが、1958年にはまだ制定されていません(ブルトレカラーは1960
年より。カニ22のパンタを緊急時に下ろせる「カニパンスイッチ」装備車!が塗装変更
のきっかけだったのではありませんでしたか?)。モノクロ写真で紹介されていたの
でなんともいえませんが、或いは青大将カラー?(にしては色が濃いので???です)。

ご期待には添えなかったかも知れませんが取り急ぎm(_ _)m

どこのEF58?
投稿日 10月14日(金)21時56分 投稿者 きーぼー
初めまして。高校生のきーぼーと申します。昔のアルバムに気になる
写真を見つけました。(アップローダーなので二ヶ月程で消えます)
http://sakuratan.ddo.jp/imgboard/img-box/img20051013220659.jpg

「93年」としか説明が付いてなくて前後の写真も無いので場所が分かりません。
ナンバーが母で隠れて見えないし調べてもどこにも載ってないようです。
交通博物館にEF58のカットモデルがあった覚えも無いです。
ちなみに2001年まで神奈川県に住んでいました(現在は兵庫)。
動くEF58はさよなら20世紀踊り子号の時の61号機しか見た事がないですが、
ここの皆さんなら詳しそうなので書き込んでみました。

それとDVD「栄光の機関車 EF58 61」は東京〜横浜間の展望映像
があるそうですが横浜駅の発車まで入ってるんでしょうか?
僕は横浜駅で停車位置からこれ位離れた位置にいました。
http://sakuratan.ddo.jp/imgboard/img-box/img20051014215513.jpg

カマとの相性
投稿日 10月12日(水)23時01分 投稿者 EF58−52
特定の形式を撮影していると、どうしても相性が表面化してきますよね。
当時は現在のように簡単に情報が入手できるような状況ではなかったので、
本当の意味での相性というものが存在していたと思います。

私の場合は、悪い意味で竜華区のエ−ス66号機との相性が悪かったと思います。
当時の竜華区のEF58は8両配置でしたから、単純計算すると確率としては
1/8ということになるんですけど……。

何日か泊り込みで待っていても何故か66号機が充当されない……。
後に判明した事なのですが、ちょうどその時期に検査入場していたようです。

もっと悔しい思いをした事もありました。
新発売された意青春18切符を利用して静岡から東海道、阪和線と
在来線を乗り継ぎ和歌山駅に到着したら念願の66号機が入線していました。
心躍らせカメラのシャッタ−を斬ろうとしましたが、無情にも作動せず!
「遥々和歌山まで来て目の前に66号機がいるのに……」
予備カメラも持ち合わせていなかったので、泣く泣く帰路に付くしかありませんでした。
翌日地元に帰ってCANONのショ−ル−ムに修理に出しましたが、担当者の
「お客さん、電池切れですよぉ〜」の言葉に思わず絶句……。
これは私のEF58撮影最大の失敗だと今でも思っています。
これを教訓に、現在に至るまで常に予備電池は携帯するようにしています。

ご無沙汰です…。(^^;)
投稿日 10月11日(火)01時25分 投稿者 kobaneko@管理人
皆さん、大変お久しぶりです。ちょっと公私ともに立て込んで
ましてなかなか趣味の時間が取れずにおります。
HPの方も久々に何とか更新しました。

と言うことで恒例の遅レスを…。(^_^;)

>元炎の営業マンさま
何だか今回の全検は異例の事が多いようで…。きちんと仕上がったの
か少々心配ではあります。(61はまだ田端?)

>747-400さま
KATOのは何か全体に角張った印象がありますね〜。
大窓の窓周りも随分と印象と違うような…。

天賞堂のEF15もここまで来れば急がなくても良いので、きちんと
EF15の印象を表現してくれることを望むばかりです。

> 国鉄時代vol.3
私も買いました。貴重な昭和30年代のEF58の動画をかなりの数、見る事が
でき、なかなかの感動モンでした。
個人的に一番目を見張ったのがEF1511の牽く貨物列車だったりしますが…。(^^;)

撮影当時の機材では仕方ないところですが、これで音声も入っていれば
最高なんですが…。こればっかりは仕方ないですね。

> 急行「月光」
ロネが4両とは豪華ですねぇ〜。当時はそう言う層の方も随分と利用して
たんでしょうね。今はみんな飛行機でしょうね。
それにしてもマロネ41に乗車されたことがあるんですかぁ〜。羨ましい…。

私は急行「出雲」時代のロネだからオロネ10くらいですか…。ほとんど
覚えてないし…。(^_^;)

>EF5841さま
天賞堂新製品EF57、EG仕様だったら思わず買おうかと思いました。(^^;)

>水色案内人さま
初めまして。今後ともよろしくお願いします。

61と併走なんて、なんと羨ましい…。まさに至福のひとときですね。
やはり61の発するオーラは他の電機とは一線を画すものがありますね。
いつまでもあの輝きを失わずにいて欲しい…と願わずにはおれません。

>タケチャンマンさま
やはり動く映像というのは写真とはまた違った魅力がありますよね。

電気機関車集成の上巻もまだ置いてあるんですねぇ…。数年前に神保町の
書泉に下巻があった時でも結構驚きましたが、いやはや何とも。

> 西部の古典電機
実は実家が国分寺の近くなので、子供の頃は良く駅構内を入れ替えしてる
姿を見てましたので、結構身近な存在だったりします。

当時は国鉄電機が好きだったのですが、今からすればもう少し写真を撮って
おけば良かったとちょっと後悔しています。なかなか魅力的ですよね。

> このホームページが全旧型電機に拡張されることを期待しているのですが・・・
ははは…。いつになる事やら…。まだまだEF58、EF15もやりたい事の半分
くらいしか出来てなかったりします。(EF13は放置状態になってますし…うう)

>172お召し機さま
初めまして。
解答は既に得られたようで…良かったですね。
また、何かありましたらよろしくお願いします。

>宇都宮運転所さま
カマの相性、確かにありましたね〜。
私の場合、高二のゴハチだと87号機、137号機がやたらと出会いました。
東海道スジだとなぜか1号機。こいつが来ると嬉しい反面、「またお前か〜」
と言う感じでちょっと複雑でしたね。(^^;)

> 今後とも多くの方の作品を末永く楽しめるよう、お仕事の方も大変だとは
> 思いますがよろしくお願い致します。
何だかご心配をお掛けしてしまったようですみません。(^^;)
13年も国外生活ですかぁ…。色々と大変でしょうね。それに比べれば私は
まだまだ恵まれた環境ですね。

ちょっと今、公私ともに忙しく年内はなかなか落ち着いて更新も出来ないかも
知れませんが、EF58やEF15に対する想いには変わりありませんので
何とぞ気長にお付き合い頂ければ幸いです。

>パックマンさま
またまた飯田線まで遠征お疲れ様です。<いいなぁ
私もいい加減行きたいところなんですけどね〜。(-_-;)

>青列車さま
ご自宅からEF58の特急を眺めることが出来たとは何とも羨ましいですね〜。
私はと言えばヘッドマークを付けたゴハチを見たのは、イベント列車しか
ありません。(「踊り子」すら見たこと無し…)(;_;)

私が本格的?に鉄に目覚めたのが昭和50年。その時にはもう関西ブルトレの
ヘッドマークも取り外された後。鉄道ファンの特集でヘッドマークを付けた
勇姿を見てはため息をついたものです。

【相性】私の場合は74号機
投稿日 10月11日(火)00時26分 投稿者 青列車
お邪魔しますm(_ _)m
>>宇都宮運転所さま
カマとの相性とのことですが、撮影こそできませんでしたが、私の場合は当時米原
在籍だった74号機を挙げさせていただきます。今を去る事30年以上も前、中学生時
代の夏休み、朝5時、本州の西の端の我が故郷にも流石に朝日が昇った頃、下り彗
星5号がやってきました。生家2階の自室の窓から見える山陽線。それがために電
化が遅れ、故にブルトレカラーのEF58の牽く20系をリアルタイムで見ることができ
なかった大畠トンネルを抜け突堤を駆け抜けてやってくる増圧ブレーキ装備のEF58、
そしてエスコートされる20系編成。カマの鼻先に輝くヘッドマーク。その機号は?
何故か見た時は必ず74号機!なんとなく不思議でした。2日連続して確認すればそ
んな事は起きないのですが、宵っ張りの朝寝坊が災いし、早起きではなく徹夜明け
で観察していたので毎朝とはいかなかったのです。意を決して見た頻度が、丁度カ
マの運用のペースと一致してしまったのでしょうね(^^);

そういえば先日(9日)、交通博物館に赴きましたが、展示品の中にトンネルの写真
が色々掲げられていたパネルがあり、その中の1枚に、複線トンネルから出てくる
EF58、それも114号機の写真がありました。丹奈トンネルでしょうか?青塗り警戒
塗装でしたが電暖表示灯はまだついておらず、昭和50年以前に撮影されたものと思
われます。しかし、一番肝心な端梁のブレーキホースの数を数えるのを失念してい
ました(114号はP型改造されていますから、ブレーキホースは3本になっています。
もしもホースが3本あれば昭和47年以降、1本しかなければそれ以前。とすぐにわ
かったのですが…)。

と、いうことで横レス失礼しましたm(_ _)m

飯田線
投稿日 10月10日(月)21時51分 投稿者 パックマン
ロクイチも全検を出場し、しばらくはその勇姿を見続ける事が出来る事となり
うれしい限りです。

さてさて、ゴハチ禁断症状が出っぱなしの私は、またまた飯田線へと遠征して
参りました。
沿線の田圃は稲穂がちょうど良く穂を垂れ実に良い感じ。
山間部ではまだ紅葉には早い感もありますが、秋の訪れを感じる景色でした。
昨日、122はちょっと汚れ加減でしたが、またそれも現役の証。
それはそれでいい感じでした。

次はロクイチの番かな?

お礼
投稿日 10月10日(月)10時00分 投稿者 172お召し機
>宇都宮運転所様
有難う御座いました、助かりました。
ワタシは、悲しいかな168号機との相性が良かったです。

EF58-114”銀輪”号について
投稿日 10月9日(日)07時24分 投稿者 宇都宮運転所
172お召し機様、
お尋ねの件、1983年9月10日(土)に運転された9503レ「銀輪号part3」のことだと思います。
私も、この年ぐらいからの記録を度重なる引越し(転勤)で紛失してしまいましたが、この件については残っておりました。
余談ですが、皆様もカマの追っかけをしていると"相性"というものがあったと思います。小生は宇都宮の中ではこの114号機
との相性がよく、かつこのカマが庇無しの中では一番お気に入りでした。"没個性"組といわれたグループの1輌でしたが、
東海道・山陽路で20系を牽引し、ブルトレ塗粧もまとい、「北星」20系化に際し東北線に転属した20系とは縁が切れなかった
1輌でした。当機の廃車後も不思議と縁は続き、現在も私の書斎に引退した時のままの白ペイントされたプレートを飾って
おります。
管理人様、
「今夏」鉄ができなかったくらいかわいいものです。私などもう13年以上日本での列車撮影はしておりません(笑)。
というのも、転勤で日本の地を離れてからもう13年以上経つからです。数年に1度、帰国して東海道新幹線に乗ることが
あれば、それはもう窓にかぶりついて旧東京機関区の中に61を探します。それぐらい生のカマから離れてしまっても、
今でも58が大好きです!こういった、58の姿が見れるサイトがあるからこそ続けられるのかもしれません。
今後とも多くの方の作品を末永く楽しめるよう、お仕事の方も大変だとは思いますがよろしくお願い致します。

旧型電機万歳!?
投稿日 10月7日(金)23時46分 投稿者 タケチャンマン
747-400 様
コメントの返事を忘れてました。急行「銀河」に乗られたことがあるのですか・・・。私はあまり裕福では無かったせいか、寝台に乗ったのは就職後、出張で山口の笠戸に出かける時くらいでした。私用だと、昨年家族で行った北海道旅行が始めて! 子供はまだ小さいのでその経験を覚えてはいないでしょう。もう寝台列車も過去のものになりつつありますからね。
そうそう、旧型電機と言えば、先週西武の横瀬に行ってきました。旧国鉄の輸入古典電機が大事に保存されており、管理人様にも是非出かけて欲しいイベントでしたね。そしてハマッて、このホームページが全旧型電機に拡張されることを期待しているのですが・・・

EF58-114”銀輪”号
投稿日 10月7日(金)23時24分 投稿者 172お召し機
初めまして。
お尋ねなんですが、1983年の多分9月に運転された表題の列車の運転日、どなたかご存知ないでしょうか?
古いネガを整理してるんですが、撮影年月日が分からなくって困ってます。
宜しくお願いします。

何と普通の本屋に!
投稿日 10月7日(金)23時21分 投稿者 タケチャンマン
やはりそうでしたか。<電気機関車集成
やっぱり上巻も欲しいですね。
・・・なんてコメントが暫く前に管理人さんからありましたが、何と大宮のLUMINEの本屋に上下巻とも売られているのを今日発見しました。もう25年以上前の本ですが、鉄道模型店や大型書店ならともかく、普通の本屋にあるのでびっくりしました。ちなみに私は、衝動的に「日本国鉄電車特集集成」の第1〜4分冊を購入して群馬まで帰宅! 重くて疲れました。

ブルトレ塗装の牽引の急行「月光」
投稿日 10月6日(木)09時09分 投稿者 747-400
タケチャンマン様も旧型電機ファンなのは、とても頼もしいですね。
さてこのDVDの冒頭、ブルトレ塗装の58がSGを吹き上げて急行「月光」を
牽引しているカラー映像ですが、当時の編成表を調査してみました。

急行「月光」S36.10.1〜 17レ 18レ 東京−大阪

マニ+マロネ40×3+オロネ10+ナハネ10×8+スハフ42

という、食堂車がありませんが、豪華編成です。

私自身は急行「銀河」(東京−神戸)のマロネ41には乗車したことがありますが、
この豪華編成のマロネ40の個室に乗車したかったですね!

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